超(スーパー)システムである

免役力
時々思うんですが、バイキンっていうのは、一体、どうゆうつもりなんですかねぇ
例えば虫歯をおこすミュータンスという菌は、スクロース(砂糖)がついていると歯には付着することができる。

 

砂糖だけあってもダメ、歯に砂糖がついているとバイキンはそこに付着できる。

 

できると、砂糖を発酵させて酸をつくるので歯のエナメル質や象牙質を台無しにしてしまう。

 

しかし虫歯菌は人間の歯を台無しにするのが目的で生きているわけじゃないと私はバイキンになったつもりで考えているんですよ。

しかし、いまにわかにバイキンになってみたばっかりだから、本当のところはよくわからない。 なんで私は歯についた砂糖を発酵させるのか、歯も砂糖もないときに私はどこでどうして生きていたのか?
バイキンとして思うには、「私はなにも虫歯菌なんかではないのだ。それはまぁ、人間を結果として虫歯にしちゃったのはすまないと思う。が私は私で生きていて、それがたまたま人間の迷惑になってしまったというだけで、わたしにはなにも矢印見たいな角生やして、愉快犯かなにかのように人の口の中をほじくったり腐らせたりしているわけじゃない」ような気がする。
免疫系の「かかり」の自分というのは、おそろしく不寛容であるらしいのがわかりました。自分と自分以外の者を徹底的に峻別する。そのことで自分の命を守っているらしい。それが行き過ぎて、自分の中にも敵を見出して、それもセンメツしようとしてしまうこともママあるらしい。
免疫があったおかげで、人類は生き延びてきた。人類だけじゃない象やキリンもカバもそれぞれの種が保存されてきたわけです。

 

免疫の基本は、自己と非自己を識別するということでした。

 

これを生存の戦略に利用してきた。じゃあ、これ一体いつからこんな戦略を用いだしたかってことになりますが、生物の歴史でいうと、比較的最近なんですね

システム工学とか、いわゆるシステム論に言うシステムというのは、まず目的のためにさまざまな要素が働くわけですね。

 

ところが免疫なんていうのは、確かに病気から免れるということをやって病気から免れるためだけにあるかというと、もうそうじゃなくなっています。

 

脳が何事か。考えを浮かべるときに、何のために考えるのか、別に目的があって考えているわけじゃない。

 

だんだん目的がわからなくても考えられるようになると、脳は脳のために発達してきているということになりますね。

 

人間は何のために生きるかというと、生きるために生きるというね、自己目的化しちゃうところが、超(スーパー)システムの特徴ですし、あるいみ危険なところでうね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました